水戸黄門

80年代前半までの再放送は関東TBSエリアを除き、地方局だと、本放送中も再放送が認められていましたが(大岡越前江戸を斬るも同様)、1985年以降は長らくTBS基準(本放送中の再放送禁止→地方局は1999年頃、TBSは2001年に解除)で統一されました。
実は全国各地に於いて再放送が実施されなかった期間があります。
13部終了から14部開始までの半年間で、水戸黄門の再放送が各地で全面休止されていました。
これは西村黄門スタートにあたり、「10月からの新しい水戸黄門にご期待下さい」という視聴者へのメッセージを込める一方で、局側にとっては、黄門=西村晃というイメージ構築する為の準備期間で、敢えて旧作の再放送を休止させる(東野黄門のイメージ払拭)という視聴者への少々イジワルな作戦を展開。
これは14部終了から15部開始までの再放送期間も同様で、この時も各地で1~13部の再放送はなく、西村黄門のイメージ定着を図ってか?14部だけが終了から3ヶ月以内に各地で再放送され、TBSは最終回から2週間後の84年7月25日から14部の再放送を行いました
東野黄門シリーズの再放送再開は85年10月からで地方局は2年半、TBSは3年も待たされる羽目に。
さすがに佐野黄門スタートの際にはこの無謀とも言えるパターンは使われませんでした。

東野黄門代替わりはスタッフにとっても出演者にとってもかなり大きなプレッシャー、西村黄門のイメージを定着させようと再放送でも西村ゲスト回欠番+東野再放送を一時休止。そして一緒に辞めようとした里見&中谷もなんとか慰留させる事に成功。

それまで数百本の作品に出演した西村もさすがにクランクイン前日は眠れなかったそう。でもその甲斐あって結果的に14部は13部を視聴率で上回り、その後も安定した人気を得ました。

西村晃(14部終了打ち上げにて)
「東の東野さんから西の西村に代わって、水戸黄門という太陽が沈んでしまったら
どうしようかと考えていました。幸いにしてそのようなこともなく、
今こうして大役を果たせてホッとしております。」